「このお話、お兄様はご存じなのですか?」
当然ながら、このような重要な事柄を、家の主である延笙に知らせずに進められるはずはない。
海千山千、腹芸をもってこの国の政治を仕切ってきた笙耀ならともかく、ずっと共に育った延笙の隠し事を見破ることは、祐榎にとってはそう難しいことではない。
けれど昨日も今朝も、兄がそんな話を心に秘しているとは、欠片ほども感じられなかったのだ。
兄と話し合う必要がある。延笙不在の今、自分の一存で決めていい話であるとは、とても思えなかった。
「延笙殿は」
痛いところを突かれたのか、広潤は一瞬口ごもる。それに得たいの知れない不安を感じ、眉根を寄せた。
広潤ほうと重々しく息をつき、苦いものを口にしたかのように、唇を歪めた。
「先ほど、陛下が延笙殿を呼び、このことを伝えましたが・・・」
「承知しなかった、と」
安堵の色を浮かべつつ、口ごもった広潤の言葉を引き継ぐ。
実際、心底ほっとしていた。兄が承諾しなかったのならば、この件は直ぐに流れるだろう、そう思ったのだ。
けれど、それは甘かった。
「そうです。それ故、延笙殿は投獄されました」
「なっ・・・!」
「陛下の命を拒むと、あなたを後宮に入れる気はないと、陛下の前ではっきりとそう言ったのですよ、延笙殿は。陛下はそのことに怒り、延笙を牢に放り込め、と命じたのです」
「牢に・・」
震える口元に手で覆い、呆然と呟いた。
祐榎の動揺に畳み掛けるように、広潤は早い口調で続けた。
「ですから、祐榎殿にこうして直接話をしに参ったのです」
「・・・・」
「祐榎殿、あなたの意志や感情はこの際関係ない。延笙殿のため、笙耀殿のため、この家のため、この話をお受けなさい」
「どういう・・?」
「このままではこの家はとり潰され、祥伯殿も官位を剥奪、悪くすれば陛下に叛意ありとされ、罪人となりかねない。それを防ぐことができるのは、祐榎殿、あなたしかいない。あなたが自らの意志で後宮入りを決め、延笙殿を説得して欲しいのです」
「私が・・・?」
自らの意志で、陛下の元へ行く・・・?
そんなこと・・・。
「できなければ、貴女が育ったこの家がなくなり、育ててくれた恩人を亡くし、この家の使用人が路頭に迷う。そういうことです」
淡々と言葉を紡ぐが、そのひとつひとつが針のように祐榎の心に突き刺さる。
脅しのようなそれは、けれど真実であり、現実になる可能性が高いことを祐榎は知っていた。
祥伯に反したために、処刑され、家を取り潰され、一家離散となった事件をいくつも、延笙や笙耀から聞いていた。その度に笙耀ははき捨てるように言っていた。あれが王たるもののやり方か、と。
大切な思い出がたくさん詰まったこの家を、我が子のように育ててくれた養父・笙耀の家を、自分が壊してしまう。
それだけではない。何も知らない兄を、罪人にしてしまうかもしれない。そんなこと、できるはずがない。できるはずが・・・。
そう思った時だった。
ふと、広潤の一言にひっかかりを覚えた。
育ててくれた・・・恩人?
父親ではなく?
それはもしや・・・。
「広潤様、あの・・」
「・・・失礼、言葉を間違えたようだ。今のは忘れてください」
本人も気づいたようで、弁解がましくそう呟き、それきり口を閉じた。
しかしその表情がはっきりと物語っていた。
自分も、そして王も、全てを知っている。おまえに選択肢はないのだ、と。
重い沈黙が何よりも雄弁にそのことを告げていた。
そうなると、この話は他にも意味を持ってくる。
内乱により王位を奪取した祥伯にしてみれば、叛乱の旗頭となりえる先王の血筋を、野放しにしてはおけるはずはない。
常に動向を監視し、謀反を企む者との接触を絶つという意味において、後宮という隔離された場はこの上なく最適である。
今回のことは、後宮入りとは名ばかりで、実質は幽閉、そういうことなのだろう。
となると、祐榎個人の感情など、無視されるに決まっている。秀慧も納得するかもしれない。
延笙は知っているのだろうか。
知っていて、血のつながらない妹をかばったのだろうか。現王である祥伯にとっては害にしかならない、先王の孫娘を。
そんなことはさせられない・・・。
「わかり、ました」
自分にできるのは、これしかない。
目を閉じ、大きく息を吐いた。
「陛下の、御心のままに・・・」
毅然と言ったつもりだったが、声が震えていたかもしれない。
自分は裏切るのだ。大切な人を、自分の心を。
それが正しい道だと信じて。
「ありがとうございます」
広潤が恭しく頭を下げた。
