興来国奇譚

興来国奇譚 19

 扉を開くと、その人物がゆっくりと椅子から立ち上がるのが見えた。
 来客の知らせを受けてから、既にかなりの時間が経過している。そのことに今更ながらに気づいた祐榎は、慌てて部屋に入る。
「お待たせして申し訳ございません」
 震える声と共に頭を下げた。
 祐榎にとっては、国の重鎮であり兄の上司。ただでさえ畏怖を感じる存在なのだ。
 その彼の話がもし、自分の出自に関わることだとしたら?自分を捕らえに来たのだとしたら?
 必死でそれを打ち消そうとするが、考えれば考えるほどそうとしか思えなくなり、身体の震えが止まらない。 
 その祐榎の様子を緊張とでもとらえているのか、目の前に立つ男は静かに答えた。
「いや、こちらが急に押しかけたのだ、気になさらず」
 その言葉に顔を上げると、こちらを見ていた広潤と目が合い、慌てて逸らす。
 父の旧友であり、共に前王に仕えていた重鎮。
 意見の相違からぶつかることもしばしばであったが、互いに認め合い、切磋琢磨し、二人で前王を支えていたという。
 祥伯が王位を継いだ後、笙耀は職を退き祥伯に仕える事を拒否し続けたが、広潤は王宮に留まり祥伯に仕える事を選択した。以来二人の交流は途絶えたと聞いている。
 だからなのだろうか、笙耀の葬儀にも、彼は顔を出すことは無かった。
「突然やってきたのは広潤だ。祐榎が謝ることは無いよ」
 祐榎の背後から声が聞こえ、秀慧が姿を現した。
 彼の訪問は聞き知っていたのだろう、広潤はさして驚くことなく、視線を祐榎の背後に向けた。
 それを受けながら、祐榎を背で庇う様に二人の間に割ってはいる。
 先に口を開いたのは広潤だった。
「秀慧様、陛下がお探しです」
 その言葉はあまりにも意外で、祐榎は驚きを隠せずに小さくえっと呟いた。
 秀慧も不審に思い、眉根を寄せる。彼は祐榎に用があって訪ねてきたのではなかったか。
「ひょっとして、広潤の用件って、それ?」
 もしかして自分を探していたのか?祐榎は関係なく?
 呆れたように尋ねると、広潤は顔を顰めて首を振った。
「あなたを探しまわるほど暇人ではありませんよ、私は」
「まあ、そうだろうね」
 どこか投げやりに呟やき、ふっと息を吐くと、広潤を睨むように見据えた。
「それにしても、珍しいね。広潤が来るなんて」
 聞きなれた秀慧の声ではある。
 けれどどこか冷たいものが含まれているのは、祐榎の気のせいだろうか。
「今はまだ、仕事中だろ。わざわざ延笙が不在の時を狙って祐榎に会いに来たの?延笙がいると不都合?」
「おっしゃる意味がわかりませんな」
 感情のこもらない言葉と彼の表情からはなにも伺えない。
 淡々と広潤は答える。
「祐榎殿と一度、笙耀殿の思い出話がしたかっただけのこと。他意はありません」
「ふうん」
「なので申し訳ございませんが、席を外していただけませんか」
 そのひとことに、秀慧の瞳がすっと細められた。
「俺にも聞かせられない話?」
「昔話です、秀慧様にお聞かせするほどのことでもありますまい」
「なら、延笙も含めて三人で話せば?」
「延笙殿は私の部下でもあります。話せないこともあります。祐榎殿だけ、祐榎殿の心の内に納めておいていただければと思い、参上したまで」
 その話とやらを延笙が聞けば、延笙の中での広潤の威厳が失墜するのだろうか。
 二人の会話を聞きながら、祐榎の震えは少しずつおさまりつつあった。全ては自分の杞憂なのだ、と。
 目の前にある秀慧の腕にそっと触れた。
「陛下がお探しなら、お戻りになられませんと」
 兄王を誰よりも慕い大事に思っている秀慧だ。王の用件が気になるに違いない。
 肩越しに振り返った秀慧の瞳は不安気に揺れていた。心配ないと伝えたくて微笑みかける。
「わたしも父の昔話を聞きとうございます。父も秀慧様に聞かれたくない話があるやもしれません」
 しばらく黙って思案していた秀慧は、やがて振り返ると、腕に触れている祐榎の手を振り払わない程度にゆっくりと動かし、祐榎を抱き寄せた。
 そうして祐榎の頬に唇を寄せ、軽く口付ける。
 祐榎の頬がほんのり赤く染まるのを確認すると、その耳元で、秀慧が囁いた。
「何があっても、俺は君の味方だから」
 何故今そんなことを?
 不思議に思っている祐榎の頬に、冷たい秀慧の手が触れた。
 憂いがこもる瞳が祐榎を覗き込む。
「笙耀殿と広潤の昔に何があったとしても、昔は昔。若気の至りだと思って、全て許してあげて欲しい」
 ピクリと広潤の頬が動く。
「間違いのひとつやふたつ、誰にでもあることだよ」
 神妙に呟くその言葉は、どうやら広潤に対する嫌がらせのようである。
 気づいた祐榎は何も言えず、困った顔を見せていた。
 なおも続く秀慧の言葉に、呻くような声が反論する。
「・・・残念ながら、秀慧様が思っておられるようなことは何もないかと」
「俺が知らないとでも?」
 肩越しに視線だけで振り返る彼の口元には、人の悪い笑みが刻まれていた。
「秀慧様といえど、これ以上の侮辱は許しませんよ」
 一体彼らの過去に何があったのだろう?
 聞いてみたい気がしたが、恐ろしくてそんなことを口にできるはずは無い。
 自分よりはるかに背の高い秀慧に遮られて広潤の表情は見えないが、その声には動揺と怒りが入り混じっているようだった。
 やり込めたことで満足したようだ。秀慧はいつもの無邪気な笑みを見せた。
「じゃあ、兄上のとこに行って来る。また来るからね」 
 もう一度祐榎の頬に軽く口付けると、軽く手を振り、足早に部屋から出て行った。
「まったく、あの方は・・・」
 ため息とともに呟く声が聞こえた。
 その声が祐榎に届く頃には、秀慧の姿は見えなくなっていた。

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