興来国奇譚

興来国奇譚 18

 とっさに言葉が出なかった。
 王である祥伯が若い娘を差し出せと言えば、それは単に王宮に勤めさせろというだけではない。
 それなりの身分ある者に対してとなれば、側室になれということを意味する。
「陛下」
 喉が乾いて張り付き、うめくような声しか出ない。
 何故そんな話になるのだ。自分の妹が、祐榎が、どのような立場にいるか知らないはずはない。
「祐榎は、妹は秀慧様の恋人です。陛下はご自分の弟の恋人を奪おうとおっしゃるのですか!」
「その権利は私にはある。いや、私にしかないはずだ」
 静かな言葉だが、その瞳の奥には炎が燃えていた。
 延笙は内心激しく舌打ちしていた。
「陛下、何を考えておいでなのですか」
「私はこの国の王だ。おまえはその私の臣下だ。おまえは私に従う義務があるはずだ」
「ですが、あまりなお言葉です!」
 ぎらりと瞳を光らせ、延笙は王を凝視した。
 その視線を受け止め、祥伯は目を細めた。
 容易く承知するとは思っていなかったが、こじれるのはあまり得策ではない。
 延笙の力はこれからも必要なのだ。彼の才能、手腕、そして彼の名さえも。そのためにも彼に納得させた上で、彼の賛同を得る必要があった。
 祥伯が嚇樹を見る。彼は頷いた。
「わかった。では、おまえにすべてを話そう」
「ぜひそうしていただきたいものです。一体なぜ、そのような事をお考えになられたのです?」
 兄馬鹿だが、祐榎の可憐さに目がくらんだ、ということも十分にあり得る。
 けれど、そんな単純な理由ではないはずだ。そうだと思いたい。
 だがもし、もしも本当にそれだけならば、逆に王を見限ってやる。
 そう心の中で決意した時だった。
「実は広潤から、このようなものを受けたのだ」
 そう言った祥伯の手には、薄い紙の束があった。
 細かく整った文字がびっしりと並んでいる。何かの報告書のようにも見えた。
 それを延笙に向け差し出した祥伯は、読めというかのようにそれを小さく振った。
 緊張の面持ちで、延笙はそれを受け取った。
 向けられた目が、ゆっくりと文字を追った。それが進むにつれ、表情が強ばっていく。
 見開かれた瞳の動きは次第に早くなり、それをめくる手は小刻みに震えていた。ぎこちない手つきで次々に紙をめくる手は、徐々に震えが大きくなっていった。
 最後の文字を読み取って、延笙は顔を上げた。
 自分の顔は蒼白になっているに違いないと思いながら。
 頭の中で幾つもの単語がグルグルと回る。
 だがどれひとつとして、彼の口から出てくることはなかった。
 重い沈黙は、やがて祥伯の声によって破られた。
「わかっただろう?」
 その声は、延笙にとっては死に神のそれに聞こえていた。
「祐榎は、京玻の娘だ」


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 両手いっぱいに花を抱えて屋敷を訪れた秀慧を、祐榎は半ば呆れながら出迎えた。
 この日は体調も良く、寝台から起き上がることができていた。
 身支度を整え、軽い昼食を取り終わるころに、秀慧の訪問を受けたのだ。
 昨日までとは明らかに顔色が良くなっている祐榎の姿を見て、秀慧は顔をほころばせた。
「今日は調子良さそうだね」
「はい。ご心配をおかけしています」
 祐榎以上に呆れ返っている様子の彩季に花を渡す。
 口の中でぶつぶつと文句を言いながらも、花を生けるために部屋を出て行った。
 その様子を見て、今朝の彩季とのやり取りを思い出した祐榎は、こみ上げてくる笑みを隠すために袖で口元を覆った。
 だが秀慧にはばれていたようで、どうしたのかと不思議そうに目で問いかけてくる。
「秀慧様のおかげで、商売繁盛だそうで」
「ああ、なるほど」
 合点がいったのか、ひとつうなずいた。
「なら、彩季は怒っただろうなぁ」
 この一言だけで、そこまで推察されるとは、欠片も思っていなかった。
 驚いて祐榎は一瞬目を見開いたが、すぐに「はい」と返した。
 もともと彼は頭の回転が早く、人の感情や行動を読むことにも長けている。だが普段の彼の粗野な言動から、そのことに気づく者は少ない。そもそも、本人が気づいているのかさえも疑問がある。
 笙耀は気づいていた。けれど、気づかないふりをしていた。
 祐榎にもそうするよう、忠告さえした。それが秀慧を守ることになるから、と。
 当時の祐榎には、何故なのかがわからなかった。しかし、今ならわかる気がする。
「そろそろ、姉上のところに顔を出さないか?姉上も心配なさっている」
 顔色を伺うように、上目遣いに祐榎を見上げた。
 その視線を受け、祐榎は俯いた。
 まだ体調には不安が残るが、少しずつでも身体を動かした方が良いとは、医師に言われている。
 だが、城への往復だけで身体が悲鳴を上げるかもしれない。
 そんなことにでもなれば、また皆に心配をかけてしまう。
 ならば、もう少し療養して、万全の体調に戻ってからでも・・・。
「気分転換になるし。家にこもっているよりは出た方が良い」
 強い意思がこもるその視線に、何故そんなにも真剣になっているのだろうと、心の中で首を傾げる。
 秀慧はさらに力をこめ、叫ぶように言う。
「身体が心配なら、俺が送り迎えする。いや、絶対させてもらう。何があっても護る。だから」
 扉を叩く音がして、秀慧は言葉を切った。
 叩き方でそれが彩季のものであると気づいた祐榎は、入りなさい、と声をかけた。
 静かに扉が開き、思案に暮れた様子の彩季が入ってきた。
 だが、そのただならぬ様子に、祐榎の心がざわついた。
「どうしたの?」
「あの・・・広潤様がお見えなのです。祐榎様にお会いしたいと」
「私に?お兄様ではなく?」
「はい」
 延笙に、というならば、まだわかる。なぜ自分なのだろう。
 どんな用件で広潤が自分を訪ねてきたのか、想像がつかなかった。
 いや、もしかしたら、というものはひとつだけあった。
 そのことに気づいたとき、全身から血の気が引いた。
 顔色が変わったその表情に何かを感じたのだろう、秀慧はじっと横顔を見つめていた。

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