興来国奇譚

興来国奇譚 17

 同じ日の早朝。
 延笙は職場に復帰し、王宮に姿を見せていた。
 疲労の色は隠せないものの、以前となんら変わることのない仕事ぶりに、周囲の者はほっとしたという。
 悲しんでばかりはいられないからね、とは本人の弁である。
 その落ち着きぶりから、あらかじめ覚悟していたに違いないと皆は思っていた。
 事実そのとおりであるから、延笙は微笑しただけで何も言わなかった。

 
 落ち着きを取り戻しつつある王宮とは異なり、珠瑛の離宮では暴風が吹き荒れていた。その中心たるは秀慧で、文字通り烈風のごとく突然珠瑛の私室に飛び込んで来る。
 もちろん、その際に自ら扉を叩いて来訪を告げることなど、頭の片隅にもないらしい。
 礼も何もあったものではなかった。
 この行動は今日に始まったことではなく、祐榎が離宮に顔を見せなくなってから、毎日のことだ。
 汐穂などは毎日秀慧の顔を見ることができ、かなり嬉しがってはいたが、すぐに帰るから全く遊んでもらえないと不満をもらしてもいた。
 案内も請わずに部屋に姿を見せた弟に、いい加減説教しなければと、珠瑛は口を開きかけた。だがそれに先んじて、部屋を見渡した秀慧は表情を曇らせて呟いた。
「祐榎、今日も来てないんだ」
 あまりにも身勝手な弟を、軽く睨めつける。
「口に出るのは恋人のことばかりなのね」
「姉上」
 苦笑した弟から、珠瑛は目をそらした。
「わかってるわ。私だって心配だもの。まさかこんなに急に笙耀殿が亡くなられるとは。祐榎もさぞ、気を落としているでしょうね」
 秀慧は沈黙を保ったまま視線を落とした。落ち込んでいるであろう祐榎の表情が脳裏に浮かぶ。
「姉上。俺、今日も祐榎の所に行ってくるよ」
「ええ。それがいいわ」
 珠瑛もすぐに賛同する。
 祐榎がどんなに気を落としているか、珠瑛にはよく分かっている。
 秀慧にならそんな祐榎の気を紛らわせることもできるだろう。
 来たときと同様に、秀慧は何の前触れもなく部屋を飛び出していった。
「先に延笙に断っておくのよ」
 珠瑛の言葉は聞こえており、元々彼もそのつもりであったので、王宮の方に走った。
 彼がいるだろう場所は検討がついている。
 普段詰めている執務室は本宮の中枢にある。
 そこにいるか、もしくは王の執務室に顔を出していることだろう。
 思った通りに、延笙は己の執務室にいた。
 彼ほどの位を持つと、本宮にも私室を持つことが許される。
 この部屋は執務室と、扉を隔てて併設する寝室を、彼は与えられていた。
 秀慧が部屋を訪れると、延笙は笑顔で出迎えた。
 彼にも秀慧がどのような用を持ってここを訪れたか察しがついているようだった。
 そもそも、政治に関心の中彼がここに顔を出すことは滅多にない。
 そしてなによりも、彼の落ち着きのない行動がそれを雄弁に物語っていた。
 わずかな時間も惜しいのだろう、挨拶もそこそこに、秀慧はいきなり切り出した。
「延笙、祐榎どうしてる?」
「はい、相変わらずふさいでおります」
「そっか」
 無理もないか、と小さく息をはく。
 笙耀は祐榎の目の前で、息を引き取ったという。
 それを看取ったのは祐榎一人だったと。
 失われていく一つの命を、彼女がたった独りで見送ったのだ。
「祐榎に、会いに行っても構わない?」
 延笙は疲労の色の濃い顔に、微笑を浮かべた。
「秀慧様にお会いできれば、祐榎も元気づけられるでしょう。私は陛下に呼ばれておりますので、ご一緒することはできません。ですが彩季が家におりますので、彩季に言い付けてください」
 秀慧は笑みを浮かべると、軽く手を振っただけで、またもや風の如く部屋を飛び出していった。


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 延笙は秀慧と別れ、王の執務室に向かった。
 長い回廊を歩きながら、延笙は首をかしげていた。
 実を言えば、なぜ呼ばれたのか心当たりがないのだ。
 今日すべき報告は書類にまとめて広潤に渡した。
 考えられることと言えば、先日の葬儀の話ぐらいなのだが。 
 彼の訪問はすでに知らされていたらしく、待たされる事なく部屋の中に通された。
 大きく、風格を漂わせる重厚な机に王はいた。その横にはいつものように嚇樹がいた。
 延笙が姿を見せると、二人はそれまで行っていた会話を止めて、彼を出迎えた。
 嚇樹はかなり渋い顔をしていたのが気にはなっていた。
 しかしそれ以上に、不可思議な王の表情に、形の良い眉を寄せた。 
 祥伯は緊張と興奮の様子を隠すこともなく漂わせ、瞳の奥がギラギラと輝いている。
 その様子にただならぬものを感じながら、延笙は祥伯の前に立った。
 いつものごとく丁寧に一礼する。
 この部屋の扉を開けたときから、否、王に呼ばれたときから、頭の中で警鐘音が鳴っていた。
 ここにいてはいけない、話を聞いてはいけない。
 何か理由をつけ、すぐに退出しなければ。
 だが理性はそんなことを許しはずはない。
 顔を上げると、祥伯の真意を見抜くかのように彼をじっと見つめた。
 祥伯はそれにも表情を変えず、大きく頷いた。
 両手を組み、嚇樹の方にちらりと視線を走らせる。嚇樹も、一度頷いた。
「延笙」
 恐ろしく重い言葉だった。
 怪訝に思いつつ返事をする延笙に、祥伯はようやく微笑を見せた。
 だがそれは延笙の背筋をぞっとさせるものだった。
 といっても、冷ややかなのではない。いや、寧ろ感情が籠もり過ぎていると言っていい。
 激しい感情を隠すことができず、表面にまで上がってきているかのようだった。
「笙耀の葬儀の折、そなたの隣にいた娘が祐榎だな」
「はい」
 隠す必要もないので正直に答えた。
 確かにあのとき、祐榎は自分の隣にいた。父親の葬儀なのである、当然のことであり、とがめられる覚えはない。
 それにしても、わざわざ尋ねてくるということは、祥伯は祐榎の顔すら知らなかったということなのだろうか。
 延笙は悪い予感を覚えた。
 まさかそんなはずはない。自分に言い聞かせる。
「確かに我が妹です。陛下はご存じではありませんでしたか?」
「ここ一年ばかり、見てはいないよ。短い期間に美しく成長したな」
 くつくつと喉をならす。
 主君の表情に、脳裏にひらめく警鐘の音はさらに高くなる。
「陛下、何がおっしゃりたいのかわかりません。はっきりおっしゃってください」
 延笙は言ったが、その実聴きたくない言葉でもあった。
 できるなら、自分の考えが間違ったものであって欲しい。
 心のそこから願いは、しかし叶う事はなかった。
 彼が紡いだ言葉は、延笙の予期していたものと、少しも違わぬものであった。
「延笙、祐榎を差し出せ」

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