興来国奇譚

興来国奇譚 16

 鋭い悲鳴が闇を切り裂いた。
 それに気づいた少女は、足を止めた。
 振り返ると、どこまでも続く深い闇がそこにあった。
 悲鳴は闇の向こうから聞こえてきたようだ。
 闇の向こうに何があるのだろうと必死で目を凝らすが、漆黒の闇は少女の目から全てを包み隠す。
 戻った方が良いのかもしれない、そう思った時だった。
 不意に、身体がずしりと重くなった。
 あまりの重さに、足がピクリとも動かない。
 理由を確かめようと足元を見ると、いつの間に寄っていたのだろう、そこには女性がいた。
 少女が纏う衣に、その片手がしがみついていた。
 衣服は泥で汚れ、所々が破れている。
 常日頃は綺麗に梳かされているであろう髪は、見るも無残に振り乱されていた。
 女性が少女を見上げた。
 その必死の形相に恐怖を感じ、少女は一歩後ろに下がった。
 だが彼女は逃すまいと、にじり寄ってくる。
 そして、もう一方の腕にしっかりと抱いていた赤子を差し出し、悲痛な声で懇願し始めた。
「お願い、この子を、夕璃を助けて!!」
 母だ、と少女は思った。
 聞いたことがあったとしても、それは赤子の頃の話、覚えているはずはない。
 けれどその声を、泣きたくなるほど懐かしいと感じる自分もいた。
 その自分が、無意識のうちに彼女に手を差し出していた。
 女性は大きく目を見開き、次いで笑んだ。
 それは心の底からの安堵と感謝を表した、優しい笑みだった。 
 自分の手から赤子が離れると、女性は大粒の涙をホロホロと落とした。
 静かに頭を下げる。
 すると、その姿がゆっくりと薄らぎ始めた。
「待って!」
 少女の叫びは届かず、その姿は闇に溶け、やがて消えた。
「か、あさま・・」
 一筋の涙が零れ落ちた。
 それがポタリと地に落ち、弾けると同時に、背後から光が放たれた。
 少女の足元に、少女自身の影を作る。
 振り返るが、あまりの眩しさに目を細める。
 少しずつ慣れると、その光の中に、見知った後姿があることに気づいた。
「お父様!」
 見間違いようがない、見間違うはずがない、それは笙耀だ。
 急いで駆け寄り、笙耀のすぐ後ろに立つ。
「お父様、私です!」
 だが、反応はない。
 訝しく思った少女が手を伸ばしたその時。
 笙耀の身体が傾げた。
 びくりとして手を引く。
 傾いだ身体は、ゆっくりと地に倒れていく。
 その身体の下から少しずつ広がる真紅の液体が何を意味するのか、すぐにはわからなかった。
 悲鳴が体中を駆け巡るが、喉に張り付いて口からは出てこない。
 液体の流れを目で追うと、人の足が見えた。
 その傍らにあった、冷たく光る刃物の切っ先から、ポタリポタリと何かが落ちている。
 それをたどり、視線を上げていく。
 ゆっくりゆっくりとたどり、やがてたどり着いたのは・・・。
 それが誰なのかに気づき、悲鳴が口から溢れた。


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「・・・さま、祐榎様!」
 身体を激しく揺さぶられ、祐榎は目を開けた。
 視界いっぱいに広がる彩季の顔が、心配そうにこちらをみている。
 その向こうにあるのは、見慣れた自室の天井。
 再び彩季に目をやると、二度三度と瞬きを繰り返した。
「祐榎様、大丈夫ですか?」
「・・・彩季」
 名前を呼ぶと、彩季は、ほぅと息をついた。
 急速に現実に戻り、先ほどまでの光景が頭の中から薄れていくのを感じた。
「夢・・・。」
あれは夢で、これが現実。
 そう理解した途端、強張っていた身体から力が抜け、安堵のため息がこぼれた。それに、優しい彩季の声が重なる。
「うなされておいででしたので。夢見がお悪かったのですか?」
「ええ」
 夢の内容は思い出したくもない。
 頭を振って、それを追い出そうとするが、あの顔を忘れることができない。
 身体がぞくりと震えた。震える右手を左手で押さえたが、左手もまた、震えていた。
 あれは夢だ。
 自分は母親の顔も声も知らない。笙耀は病に倒れたのだ、刃ではない。
 あれは現実ではない。
 自分に言い聞かせ、大きく深呼吸し、心を落ち着かせようと努めた。


 笙耀の死から十日。
 葬儀直後、祐榎は悲しみから抜け出せず、寝台から起き上がれないほどであった。
 しかし延笙と、毎日見舞いに訪れる秀慧のおかげで、少しずつ元気を取り戻しつつあった。
「そりゃぁ、夢見も悪くもなりますよ、この状況じゃあ」
 呆れたように部屋を見渡す彩季に、祐榎も部屋の中を見渡した。
 狭いとは言えない部屋の中に、床が見えなくなるほど大量の花が飾られていた。
 それは毎日せっせと秀慧が運んでくる見舞いの花であるのだが、色も種類も多種多様、全く一貫性はない。
 ひとつひとつの花の香りはとてもよい。
 よいのだが、それらが数多く集まったこの部屋の中は、なんとも言えず複雑な香りが漂っていた。
「商家の旦那さんにお礼を言われましたよ」
「お礼?」
「ええ」
 届けられて日が経った花を眺め、悪くなってしまったものを引き抜く。
 ここ数日のうちに、それは彩季の日課になってしまった。萎れてしまった花は気持ちをめげさせる、それを祐榎の傍には置いておきたくない、と。
「秀慧様は毎日毎日、花を大量に注文なさっているとか。それも、珍しいものを中心に、という注文らしいです。おかげでここ数日だけで、かなりの儲けだそうで」
 祐榎には背を向けていたので表情まではわからなかったが、その口調は刺々しい。
「この度はご愁傷さまです、祐榎様には早く元気になっていただきたいけれど、もしできることなら、もうしばらくの間伏せっておいていただけると、こちらとしては大変助かります、だそうですよ」
 言いながら、振り返る。
 そのときのことを思い出していたのか、口をへの字に曲げ、眉根を寄せていた。
「いけしゃあしゃあとそんなことを言うんですよ。私は蹴りを入れてやりましたよ」
 鼻息荒く、床から少し上、成人男性ならば脛の辺りを勢いよく蹴る仕草をした。
その光景を思い浮かべ、その蹴りを受けたならばかなり痛かったであろうことを思い、祐榎は思わず噴出した。
 それを心外とばかりに、両手を腰に当て、彩季は胸を張る。
「笑い事ではありませんよ。そもそも、王家との取引ができるようになったのも、旦那様の口利きのお陰じゃありませんか。それを、恩を仇で返すようなことを、よくもまぁ」
「いいじゃない。平和なことよ」
「それはそうですが・・・でも、礼儀ってもんがありますよ」
 納得いかないと言いたげな彩季の様子に、祐榎はさらに声を上げて笑った。
 やがて彩季も笑い始め、十日ぶりに二人の笑い声が屋敷内に響いた。


 ひとしきり笑うと、彩季は何かを思い出したようにポンと掌を叩いた。
「そうそう、お食事をお持ちしたのでした。少しでも食べてくださいまし」
 台の傍らにある台には、すっかり冷めてしまった粥がおかれていた。

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