興来国奇譚

興来国奇譚 15

外は暗闇に包まれていた。
闇に浮かぶ半月だけが、全てを見守るかのように、いつもと変わらない穏やかな光を放っていた。

一時に比べて数は減ったものの、弔問客の出入りは未だ多い。
そのため、邸内はかなり騒がしかった。

長い廊下を進むにつれ、その喧噪が闇に吸い込まれ、少しずつ薄れていくのを感じた。
祐榎の私室がある棟に入ると、いつもと同じ静寂が彼女を迎えてくれた。
そのことにほっとする自分がいた。

見慣れた自室の扉を開け、中に入る。
共に入ろうとする彩季に気づき、それを制した。

「彩季も疲れたでしょう。家のことはいいから、休んで。彩季まで倒れては、私も兄様も困るわ」
「祐榎様」

彩季の顔色は、倒れそうなほどではないが、かなり悪く、明らかに疲労の色が濃い。
化粧で隠しているが、くまもできているだろう。
あれから休む間もなく走り回り、家人をまとめ、葬儀の裏方を仕切っていたのだ。無理もない。

延笙もそれが気になったからこそ、わざわざ祐榎の付き添いを彩季に任せたのだろう。
祐榎が休息を命じることを期待して。
長い付き合いである、相手の考えは良くわかっていた。

彩季は心配する表情を見せたものの、それ以上は何も言わずに一礼し、静かに離れていった。

それは、いつも賑やかでお喋りな彩季には珍しい。
よほど疲れていたのか、それとも祐榎を煩わせたくなかったのか、もしくは両方か。
遠ざかる足音を聴きながら、自分の顔色もかなり悪いんだろうな、と、祐榎は心の中で呟いた。

やがてそれすらも聞こえなくなると、ようやく動き始め、ふらふらとした足取りで寝台に近づいた。
寝台に腰掛け、上半身だけをゆっくりと横たえた。

部屋の中は薄暗く、窓から零れ落ちる月の光だけが明るさをもたらしていた。
普段なら蝋燭を手にした彩季が部屋に明かりを灯すのだが、今宵はない。

葬儀の最中も、そして今も、頭の中は真っ白だった。
誰かが何かを話しかけていたようだが、少しも覚えてはいない。
代わりに延笙が答えてくれたということは、なんとなく思い出せてはいたが。


何も考えられない。考えたくない。今は、まだ。


悲しい、辛い、寂しい、そういった感情も湧いてこない。
瞳に映る白黒の風景は、現実のものとは思えない。


もしかしたら、全ては夢なのではないだろうか?
父の死も、自分の出生の話も。
だから何も感じず、涙も出ないのだろうか。


ぼんやりとした意識の中で呟きながら、静かに目を閉じた。


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勝手知ったる家である、許可だけもらえれば案内は必要ないと家人を追い返し、足早に祐榎の私室に向かう。
本当ならもっと早く、葬儀が始まる前にも来るつもりだった。
だが祥伯に供を命じられては、それは諦めるしかなかった。
だから宮殿までの護衛を無事果たした後、すぐに取って返してきたのだ。


『祥伯の命令は全て承諾すること』
『彼が手を差し伸べたら、握り返すこと』
『決して彼を拒否をしてはならない』

それは、大好きな大好きなある人との、大切な大切な約束。
だからいつも、祥伯の言葉を優先してきた。

だが、今回だけは後悔した。
祥伯の命令を断ってでも、祐榎の傍にいるべきだった。
彼女の顔を見た瞬間から、激しく悔いていた。


簡素な部屋の扉を叩く。

「祐榎、俺だよ。入っていい?」

だが、中からの返事は無い。

部屋にいるはずだと、延笙から伝え聞いている。
もしかしたら、眠りについているのだろうか?
それならそれで良いのだけれど。

そっと扉を開き、身体を滑り込ませる。
薄暗い部屋の中で、祐榎が寝台に顔を埋めているのが見えた。

「祐榎」

ピクリと小さな身体が震えた。
声は聞こえているであろうに、返事はない。

秀慧は近づき、祐榎の小さな肩に手を置いた。
少女はゆっくりと瞼を開き、身体を起こす。

「祐榎‥‥」

見ていて痛々しい瞳が真っすぐに秀慧に向けられた。
それからじわりと涙がにじむ。

涙を見せまいと俯く少女を、秀慧はそっと抱き締めた。
祐榎は良家の子女らしく、涙さえ見せず、毅然とした態度だったという。
ならば・・・。

「泣いて、いいよ」

そっと耳元で囁くと、秀慧の背に回った祐榎の手に力がこもる。
やがてくぐもった嗚咽が聞こえ、秀慧は祐榎を抱きしめる腕の力を強めた。


どのくらい時が過ぎたのだろう。
少しずつ声は小さくなっていった。

そっと顔を覗き込むと、少女は瞼を閉じ、眠りに落ちているようだった。
祐榎にとって、それは父の死以降、はじめての安らぎだった。
やっとそれを取り戻すことができたのだ、彼の腕の中で。
そのことに秀慧は安堵のため息をもらす。

秀慧は少女の体を抱き上げた。
涙の跡の残る頬に口づけ、寝台にゆっくりと横たえる。

「祐榎」

柔らかな頬に手をあて、少女に呼びかける。
安らかに寝息をたてる額にそっと口づけた。

「いつでも俺を頼ってくれよ。何があろうと、俺は君の味方だから」

例えそれが、あの人との約束を破ることになったとしても。
きっと後悔はしないだろう。

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