興来国奇譚

興来国奇譚 13

黙って笙耀の話を聴いていた祐榎は、その言葉を理解することができなかった。
頭の中が真っ白になり、震える手が膝にかかる衣をギュッと握り締めているため白くなっている。
喉がカラカラに渇き、呼吸は浅く荒い。息苦しさは彼女から思考力を奪っていった。


祐榎が死んだ?
では自分は、ここにいるわたしは何者なのだ?


彼女の混乱に笙耀が気づかないはずはない。
そして、彼女が抱いている疑問にも。
彼は大きく深呼吸をして心を落ち着かせ、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「その時の私は、気がふれていたのかもしれない。祐榎が、娘が死んだことを知っているのが彩季だけと聞いて、考えるよりも体が先に反応していた。祐榎の、娘の亡きがらを彼女に渡した。私は言った。この子を夕璃様として、祥伯様に渡しなさいと」


少女は目を輝かせた。
頷いて、何も言わずに屋敷を出た。

その後のことは笙耀も知らない。
ただ翌日、夕璃の死亡が確認されたと聞いた。夕璃を抱いた少女とともに。


「もうわかったであろう、祐榎、いや、夕璃様」
「お、父様‥‥」

乾いた喉からこぼれ出たのは、掠れた声。
極々小さいものであったが、笙耀はそれにゆっくりと首を横に振る。

「私は貴方の父などではございません。貴方のお父上は、京玻様なのです」

口調は冷たくはなかった。むしろ優しい。
枝のように細くなった手がゆっくりと伸ばされ、祐榎の髪を優しくなでた。
細められた瞳が潤み、その顔を目に焼き付けるようにじっと見つめていた。

「大きくなられましたな、姫様。これでやっと、莱也様と京玻様に‥‥‥」

言いながら、ゆっくりと瞼が閉じられる。
今の体調で長い昔話をしたのだ、身体に負担がかかり、かなり辛いはずだ。
けれどその顔は笑みを湛え、安らいでいた。
そのことに不安を感じ、祐榎は恐る恐る声をかける。

「お父様?」

祐榎の呼びかけにも、笙耀は目を開かない。
祐榎は息を飲んだ。
震える指が、笙耀の肩に触れる。

「おとう‥‥さま‥‥?」

そっと肩を揺らすが、反応はない。
考えたくなかった言葉が、脳裏によぎる。
まさか‥‥‥。

「お父様!お父様!」

祐榎の叫びは、空しく響いた。


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延笙はかすかに聞こえた悲鳴に気づき、顔を上げた。
それは駿雷も同様だったようだ。

耳を澄まし、目を細めて音に集中する。
悲鳴が祐榎のものだと悟った瞬間、杯が手から滑り落ちた。
落ちた杯は砕け、酒が飛び散り床に染みを作った。
だがそれに気づくことなく部屋を飛び出し、悲鳴がしたと思われる方向、笙耀の寝室へと駆ける。

嫌な予感がした。
祐榎がそんな悲鳴をあげる理由はひとつしかない。

笙耀の寝室に駆け込むと、祐榎がいた。
悲痛な声で泣き喚き、父の名を呼びながら必死に身体を揺すっている。
いつもなら苦笑交じりに目を開ける父だが、まったく反応がない。
その事実に、延笙は全身から血の気が引いていくのを感じた。

立っているのがやっとだった。
隣で動く影が目に入っていたが、まともに働かない頭はそれが何かを理解できない。

「祐榎、落ち着け、祐榎!」

狂乱する祐榎の手首を駿雷が掴んで止めた。
彼女は抵抗しなかった。喚き声もピタリと止んだ。
大きな瞳から零れ落ちる涙だけは止めることができなかった。

同時に、バタバタと足音がして影がひとつ飛び込んできた。

「旦那様!」

祐榎の悲鳴を聞いたのだろう、延笙の視界に飛び込んできた彩季の悲鳴が部屋に響いた。

「彩季、医者を呼べ!」

鋭い口調で命じたのは駿雷だった。
彩季はうなずくと、部屋を飛び出していった。

それを確認して、大人しくなった祐榎の手首をゆっくりと離す。
自由になった祐榎は、震える手で冷たくなりつつある笙耀の手を握り締め、寝台の横に跪いた。
その手を自分の頬に当て、祈るように俯いた。

ほっと息を吐いた駿雷は、振り向いて延笙を見た。
そして盛大に舌打ちする。

眉根に皺を寄せ、険しい顔つきでつかつかと近づいた。
次の瞬間、延笙は、視界が揺らぐほどの痛みを頬に受けた。

「しっかりしろ!お前がそんなんでどうするんだ!」

どうやら平手で叩かれたようである。
かなり手加減してくれたのだろうが、それでもかなりの衝撃だった。
その痛みと怒鳴り声でようやく我に返る。


そうだ、自分がしっかりしなければ。
祐榎とこの家を護らなければ。


延笙の瞳が正気に戻ったのを見て、駿雷はひとつ頷いた。

「俺は屋敷に戻るよ」

自分がいたら邪魔だろうから。
言外にそう言っていた。

医者を呼べ、と駿雷は言ったが、医者を呼ぶまでもない。
延笙と駿雷にはそのことが痛いほどわかっていた。
ただ、祐榎が目の前にいる今ここで、それを口にすることができなかっただけだ。

延笙はこれからのことを考える。
やらなければならないことが多すぎた。

ポンと延笙の肩を叩き、駿雷が耳元でささやいた。

「何でも手伝うから、遠慮なく言え」

そのまま立ち去ろうとする親友の背に、延笙は言った。

「駿雷、助かった」

彼がいなければ、自分はまだこの現実を受け入れられなかったかもしれない。
呆けたまま何もできず、立ち尽くしていたかもしれない。

礼を述べる延笙に、片手を上げて答え、駿雷は部屋を後にした。

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