興来国奇譚

興来国奇譚 5

翌日、宮殿の本宮内の長く伸びている廊下をを歩いていた駿雷は、向こうからやって来る親友の姿を認め、面食らった。
長身の、がっしりとした身体をもつ青年である。
二十代前半といったところか、短く刈りそろえられた濃い茶色の髪に、子供っぽさを残す緑色の瞳。
その瞳が目の前の親友を写したとき、自分の目はおかしくなったのかと、何かの幻を見ているのかとさえ思った。
彼が手を挙げて自分の存在を示すまでに至っては、ただただ呆れることしかできなかった。

「‥‥おまえ、こんなところで何をやってるんだ」

国王を護るためにのみ存在する軍隊、禁軍の総帥たる彼は、彼の身分らしからぬ言葉を投げかけた。対する相手は、にこやかに答えた。

「私も今日は家にいようと思ったのだけどね、父上に追い出されてしまったよ」

唇に笑みを乗せたまま、わざと困ったような顔を作るのは、駿雷の幼なじみである青年、延笙であった。

延笙の父である笙耀が倒れたという話は、昨日宮殿中を駆け巡った。もちろん、駿雷の耳にも届いていた。
その昨日今日である。笙耀に付き添うとばかり思っていた駿雷は、まさか延笙が宮殿に姿を現すとは思っていなかったのだ。

「家にいてもおまえは何の役にも立たない。ならばせめて出仕して、国の役に立てと言われたよ」
「それはそれは」

二人とも、苦笑するしかなかった。病床にあってもなお、笙耀殿は健在だと。

「それで仕方なく出て来たということか。‥‥だがその様子だと、笙耀殿はあまり良くなさそうだな」
「おまえには隠せんな」

いつもと変わらぬ、いや、むしろ明るい笑顔に隠された心中を、長い付き合いとはいえこの幼なじみは見事に看破した。
このような大事を口にすることは躊躇われたが、ほかならぬ駿雷である、他言するようなことはしないだろう。
なにより、隠したとあっては、事実を知られたときが恐い。相手はまだ若いものの、国士無双と言われる、百戦錬磨の将軍である。腕力で勝てるはずもない。

廊下の真ん中である。人影があれば、すぐにわかる。
なによりも人の気配に聡い駿雷が先に口に出したのだ、その辺りに抜かりがあろうはずはない。
だが念のために、さりげなく辺りを見渡して、誰もいないことを確認する。
それから、重々しく頷いた。

「その通りだよ。もう長くはない。一月か、もしくは‥‥」

わざと途切れさせた言葉の先に何があるのか。
それが読めないような駿雷ではない。語られた事実の重さに、さすがの総帥も青ざめる。

「それほどまでに‥‥お悪いのか」
「医師がはっきりとそう言ったよ。直接言ってはいないが、本人にも、分かっているようだしな」

幼なじみである彼にとっても、笙耀は他人ではない。
幼いころなど笙耀と二人で怒られたことも一度や二度ではないが、それを差し引いても純粋に尊敬できる人物である。
駿雷は頭をかきむしり、うなりながら言った。

「どうしてあの方が、そんなことになってんだよ。治る見込はないのか?」
「今でさえ生きているのが不思議だと言われた。気力だけでもっているのだろうとな。よほど祐榎のことが気になるらしい」
「祐榎の?」
「ああ。祐榎を頼むと言われたよ。祐榎を守れと」

少しの間沈思していた駿雷は、おもむろに口を開く。

「笙耀殿のこと、祐榎は知ってるのか?」
「私は言っていないよ。だが、薄々気づいているのではないかな」
「そうか、つらいだろうな」

彼女のことを考えると、心が痛む。
自分以上に心配し、悲しんでいるのが彼女なのだ。何もできない自分を、どれほどいら立たしく思っていることか。
ここ数日見せていた沈んだ顔が、脳裏にはっきり映し出される。
今でさえあれほどなのだ。笙耀が逝ってしまったら、彼女の心を癒せるのは‥‥。
そうしてふと、何かを思いついたように顔を上げる。

「そういや祐榎はどうした?今日は家にいるのか?」
「いや、今日は来ているよ。珠瑛様に挨拶に行ってるはずだ。しばらく父上につきっきりになるだろうからな」
「なるほどね」

二人の仲を良く知っている駿雷はニヤリと笑った。

「どうりで秀慧様が浮かれているはずだ。祐榎と約束でもしてるんじゃないか?」
「そうかもしれないな。昨日、秀慧様が父上を見舞いにいらしたからな」
「それはそれは。よほど祐榎が心配だったと見えるな」

さすがは親友である、見事に裏事情をも看破していた。

そんなことを話しながら、二人は国王である祥伯の私室を訪れた。
王宮でも奥まった所にあるここには、それなりの身分あるものしか入ることは許されない。そこは国の重鎮たる二人である、途中で止められることはなかった。
仰々しい扉の前で、それを衛る二人の守衛に来訪の意を告げる。だが守衛は、部屋の主の不在を告げた。

「政務をなさっておられるのか?」

首をかしげながら問う駿雷に、守衛は否定を示した。
もう昼近くである、午前中の政務は終わっているはずで、それを知っているからこそ延笙は王の私室を訪れることにしたのだ。

そこへ、一人の男が姿を見せた。
王の私室の前で話をしていた二人に近づいてくる。

男は丁寧に頭を下げた。この二人と同列に並ぶものである。
そして男は王に多大なる信頼を寄せられている、二人としても彼を無下にはできない。返すように挨拶をする。
男は四十近く、彫の深い容貌をしていた。苦い顔をし、黒い瞳を光らせ、二人を見つめる。

「陛下はただ今、秀慧様の離宮を訪れておられます」
「秀慧様の?」

二人は顔を見合わせた。
祥伯が異母弟である秀慧の離宮を訪れることはそれほど珍しいことではない。仲のよい兄弟だということで、だれもがそれを奨励していた。
たがそれに苦い顔を見せるのはこの男、嚇樹である。
彼は秀慧を敵視し、警戒していた。
彼がいつ兄である王に敵対し、王位を狙うかわからない。
彼が王族である以上、それは決してき憂ではない。そのことを進言したのだが、祥伯はそれを退けた。
当の祥伯がその弟を頼みとしているのだ。それ以後はうかつなことは言えず、彼自身が密に目を光らせていた。

「何かあったのか?」
「いえ、何もございません。陛下も気晴らしをなさりたかったのではありませんか」

一瞬、その顔に動揺が走った。
だがそれは瞬間的なもの。
普通の人間には目にさえ写らなかったことだろう。
だが、そこにいた二人は普通の人間ではなかった。

「嚇樹殿」

細められた延笙の瞳が嚇樹を射貫く。
普段温厚な人物であるだけに、それは何人をも、駿雷さえも震え上がらせるものであったが、この嚇樹は例外であった。

「私には話せないような事柄か」
「いえ、そうではございませぬが」

困惑したように言う嚇樹である。事情を知らないものが見れば、本当に嚇樹は何も隠していないと思ったことだろう。
これでは延笙が悪者だなあ、と駿雷が思ったそのときである。

「延笙、駿雷もか。いかがした」

二人弾かれたように振り返る。そこに声の持ち主の影を見、深々と礼を行った。

廊下を歩き、影が近づいて来ていた。
やがて、それは人の姿を取る。青年であった。

年のころは、二人とそうかわらないだろう。
その人物の後ろから、付き従うように歩いているもう一つの人影もあった。

二人の前に現れた人物は、華美ではないものの、その身分に相応しい服を身につけていた。
二人と比べると劣ってしまうが、国内でも背は高い部類に入る。
秀慧よりも目や髪の色は濃いが、彼の血縁者だと言うには十分なほどに秀慧に似ていた。
ただ、彼とは決定的に違うものがある。闊達な雰囲気を漂わせる秀慧とは対照的に、この人物は物静かな、それでいて奥底に激しいものを秘めている。
それを、延笙はこの十四年で感じていた。

「どこに行かれていたのです、陛下」

言葉とは裏腹に、声に非難の響きはない。
責めているわけではないのだ。
陛下と呼ばれた青年、祥伯は、二人の前で立ち止まり、笑みを浮かべた。

「ちょうどいい、二人とも入れ。おまえたちに知らせねばならぬことがある」
「陛下!」

非難の声は嚇樹のものであった。
彼は祥伯が何を語ろうとしているのかを知っている。それは今の今まで、自分が二人から隠し通してしまおうと思っていたことだ。
それを王自らが語ろうとするとは。
二人を押しのけて、嚇樹は慌てて祥伯に駆け寄る。

「なりませぬ、陛下。あのことは」
「延笙にもかかわりあることだ。それに二人は我が国の重鎮。二人の意見を聞かねばなるまい」
「しかし」
「嚇樹、陛下のおっしゃられるとおりだ」

第三の声が、祥伯の背後から聞こえて来た。
こちらもまた、祥伯には劣るものの見事な装飾を施されたものをまとっている。
祥伯よりも背は低く、白髪混ざりの黒髪が彼の年齢を物語っている。
彼は名を広潤という。延笙嚇樹両名の上司であり、この国の宰相を務めるものである。
言わば、王に次ぐ実権の保持者である。その彼が、厳しい表情で嚇樹を見つめていたのだ。

「国の大事、とまでは言わぬが、もしもということもある。この事を二人に知らせずにおいて、そのために何事か起こったとき、そなたは責任を取れるのか?」
「そ、それは‥‥」
「二人とも我が国において、重要な位置を占めている。かかるようなときこそ働いてもらわねば困るのだぞ」
「‥‥‥わかりました」

額に浮かぶ汗をぬぐい、嚇樹は頭を下げる。
嚇樹は広潤が苦手であった。そして彼に敬服していた。
広潤もまた、秀慧に好意をもっていない。
彼の場合は立場もあるので、嚇樹のように表だってそれを表すことはないが、時折それは姿を見せていた。
つまりこの四人は、秀慧に好意をもつか否かではっきりと別れているのだ。

「では、決まったな」

祥伯はそう言い、扉を守る衛兵に開けるように指示する。
部屋の持ち主である祥伯を筆頭に、五人はそこに吸い込まれていった。
それからゆっくりと、扉が閉ざされた。

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