興来国奇譚

興来国奇譚 2

興来国。
大陸の中程に位置し、昨今の繁栄も著しい国である。

前王である莱也が敷いた善政が功を成し、その国力を高めて行った。
だが、十七年前に莱也が死去。
次に王位に就いたのは、若干十四歳の莱也の甥、祥伯であった。

莱也の前の王は、祥伯の父親であった。
彼は死の間際、十歳になったばかりの息子祥伯に王位を譲ることをためらった。
彼は頭の良い子供であったが、如何せん幼すぎる。
このままでは臣の傀儡となる。
それを恐れ、彼が王位を担える年になるまで、代わりに弟莱也がその位に即くようにと言い残した。

それから四年後、莱也もまた、病の床にいた。
彼には兄との約束があった。
だが、彼には祥伯よりも年上の息子がいた。
彼は己の息子に王位を譲ることを告げ、静かに兄の後を追った。

これに激怒したのは祥伯である。
莱也が父親である王との約束を破棄したのだ。

遺言に背を向けるとは何事かと、彼は詰め寄ることはできなかった。
当の本人は、既に旅立った後であったから。

怒りはその息子、彼にとっては従兄である京玻に向けられた。
天命は我にありとばかりに、彼を罠に陥れ、内乱を決行した。
同時に、彼の妻と、生まれたばかりの京玻の娘である夕璃をも死に至らしめた。

血に染められた玉座を占めたのは、真実に王を継ぐもの、祥伯であった。
それから十七年。人々の記憶から、その出来事は薄れつつあった。

莱也王の代から王に仕えていた笙耀は、すでに老人と呼ばれる域に達していた。
彼の腕を惜しみ、宮廷に仕えるよう祥伯は行く度も奨めていたが、彼は老いを理由に最近は宮殿にさえ寄り付かなくなっていた。

その息子に、延笙という青年がいた。
耳目秀麗、ほっそりとした容貌が、取り分け若い女性の間で評判であった。
笙耀の若いころからは想像もできない彼の姿に、密かに母親の偉業をたたえられていることを、彼は知る由もない。

祥伯よりもひとつ年下だが、その能力の高さは祥伯にさえも高く買われているほどに優秀な人物である。
彼ならば、名官吏として名高かった父親の後を継げると評判である。

その彼が、廊下を元気よく走る少年に出会ったのは、天高く上った太陽が、けだるい熱気を運び込んで来たころであった。
まだ夏には少し間があったが、ここ数日の暑さはそれに匹敵すると噂が流れているほどであった。
気の早い風が、初夏の薫りを運んで来ているのである。

「延笙!」

少年が延笙の顔を見るなり、そう叫んだ。
顔をほてらせているのは、走って来たからだろう。
どれだけ走っていたか知らないが、まったく息が上がっていないのは大したものである。

「いかがなさいました、秀慧様」

延笙は、やんわりと微笑をたたえ、丁寧な口調で問いかけた。
延笙に見劣りしない容貌に、密に彼を慕う女官を少なくない。

この秀慧と延笙、そして延笙の親友であり秀慧の剣の師である駿雷という名の青年。この三人が目下のところ、宮廷内の女官の人気を分け合っているのだ。

「祐榎はどこにいる?」

容易に予想できた質問に、延笙は口元をほころばせた。
彼と自分の妹である祐榎との仲は、宮殿内でも評判である。
もちろん、兄である彼の耳にも入っている。

二人の若々しい恋心を、誰もが密かに二人を見守っていた。
陰謀渦巻く宮殿内にあって、心和ます話題でもあったのだ。

取り分け秀慧の方が祐榎に夢中だということも、公然の事実として人々の間に囁かれている。

「おそらく、珠瑛様のお部屋にいると思います」

聞くが早いか、すぐに彼は行動を起こしていた。
風のように、既にそこにいた痕跡さえも見当たらない。
彼の言葉が耳に達すると同時に、走り去ってしまったのだ。
王弟ともあろうお方が、と、延笙は軽く肩をすくめたが、その唇には微笑をたたえていた。

延笙の言葉どおり、祐榎は珠瑛の私室にいた。
まだあどけなさを残す祐榎は、十七歳になったばかり。
吸い込まれそうな大きな黒い瞳が印象的な少女である。
薄い茶色の髪は陽光に透けると、金色に輝くのだ。
長いそれを高く結い上げて、背中にたらしている。
祐榎が動くたびに、それは風になびいてふわりと揺れる。
あと数年もすれば、その美しさは国でも一二を争うことになろうと容易に予想させるような容姿の持ち主である。
誰もがため息をつき、少女を見つめるのだ。
そうしてさすがは延笙殿の妹だ、と口をそろえて言う。

だが彼女の魅力はそれだけではない。
他人の目を引き付けて止まない、そこにいるだけで、まわりを明るい、暖かい雰囲気にさせる力が彼女にはある。
それは祐榎の人柄によるものだろう。

彼女の目の前に座っている女性、二十代半ばに達しようかという珠瑛は、その美貌を国内外に知られていた。
赤い唇はいつも穏やかに結ばれ、豊かな黒髪を後ろで一つに束ねてある。
前々王の側室の娘であるが、森の緑よりも深い緑色の瞳は、慈愛の念を誰にでも惜し気もなく見せている。
彼女の実の弟である秀慧とともに、国民の敬愛を一身に受けていた。

珠瑛は一度、国内の貴族に嫁いでいた。
だが娘である汐穂が生まれるころと時を同じくして、彼女の夫は病のために床についた。それから一年と立たずに他界してしまった。
若くして未亡人となった珠瑛は、兄王、つまりは祥伯の計らいで王宮に住まいをもっている。
嫁ぎ先に止まってもよかったのだが、珠瑛はあえて王宮に戻った。
王族である珠瑛を、家族が持て余していたことを彼女は知っていたからだ。

珠瑛が幼年時代を過ごした離宮が、王宮の傍らにある。現在はそこで、娘である汐穂と暮らしていた。
祐榎はそんな珠瑛の世話係兼話し相手として宮廷に召されていた。
珠瑛は、幼いころから祐榎を、実の妹のようにかわいがっていたのである。
その彼女がそばにいれば、少しでも悲しみを癒すことができようという配慮からだ。

この時もいつもと同じように、祐榎と珠瑛は談笑していた。
そのかたわらで、二人はかわるがわる汐穂の相手をしていた。
それまで二人の間を往復していた汐穂が、膝の上におかれていた祐榎の手に目をとめた。ついで、それがよく見える場所にチョコンと腰を落ち着けた。

汐穂がじっと祐榎の指を見つめてる。
小さな両手を座っている祐榎の膝に置き、正座をして食い入るように見つめている。祐榎がその視線の先を追うと、汐穂の瞳は指輪を見つめていた。
大きな石がひとつ、その両わきに一つずつ小さな石が直線を描くように埋められた、銀製の指輪である。
見る角度によって異なる色の光を放つそれが、どうやら汐穂の目にかなったらしい。

「ねえゆうか、これせきほにちょうだい」

きらきらと眼を輝かせてねだる。
七色の光を放つその石は、この上ない美しさを誇っていた。
それが汐穂を誘惑する。

「あら、だめよ汐穂」

祐榎が何か答えるより早く、珠瑛が娘に諭した。

「それは祐榎の大事なものなのよ。似たようなものをあげるから、それはだめよ」
「いやいや。これがいい」
「汐穂」

鋭く声を発する。
汐穂はびくりと身体を震わせると、顔をゆがめた。

すでに泣き出す態勢に入っている。
彼女が泣き出したらだれの手にもおえないことが、今までの経験上分かっている祐榎は、指輪を外し、汐穂の手のひらに置いた。

「汐穂様、これを大切にしてくださると祐榎と約束できるのでしたら、差し上げますわ」

刹那、本当に瞬間芸のように顔を輝かせ、今までの泣き顔はどこへやら、うれしそうに何度も何度も頷いた。

「ありがとうゆうか。これ、にいさまにみせてくる!」

すっくと立ち上がり、小さな足を懸命に動かして、彼女は走り去って行った。
汐穂の姿が完全に消えてしまってから、珠瑛が大きく息をついた。

「ごめんなさいね、祐榎。あの子が飽きたら、すぐに返すわ」
「いえ、かまいません。あれは、秀慧様にいただいたものですから」

普段から装飾品に興味のない祐榎である。
あの指輪に特に執着していたわけではない。
ただ珍しいものだからつけてみようと思っただけなのだ。
それに、あれは秀慧にもらったもの。もともとはどこかからの献上品だったはずだ。
結局、王家の者に返しただけのこと。
本当ならばあれは、珠瑛か汐穂の手に渡るものであったはずだ。
ただ、もとの持ち主に戻っただけのことだ。

秀慧から、という言葉が出たとき、珠瑛がわずかに目を開いた。

「まあ、そう、あの子が。それじゃあ、あの子に申し訳ないわね。せっかく祐榎が受け取ってくれたものなのに」

実の姉だから言えるのか、すごい言いようである。

しかし事実、祐榎はあまり秀慧からの贈り物を受け取らない。
王族からのそれらしく、その全てが高価だからというのもあるが、特別な理由もなしに物をもらい受けることが彼女にはできないのだ。
そんな中で唯一受け取ったのが、先程の指輪だった。
もっとも、あれは誕生日の贈り物であったという事情もあるのだが。

そんな内部事情を知っているからこそ、珠瑛は済まなそうに言った。

「指輪のことは、私から秀慧に言っておくから。代わりになにかを贈るように言っておくわ。だから、受け取ってあげてね」
「いえ、珠瑛様、そんなことは・・・」
「受け取ってね。そうしてもらわないと、私の気がおさまらないし。それに」

何を思いついたか、くすくすと笑いながら、彼女は続ける。

「秀慧が喜々として選んでいる様子が、目に浮かぶようだわ。だからね祐榎、私からもお願いするわ。今度だけでも受け取ってあげて。あの子、祐榎が気に入らなかったと思い込んで、いつもしょげているのよ」

そんなこと、初耳である。
秀慧が落ち込んでいる様子など、彼女には想像もできない。
受け取ってあげればよかったかなあ、と今さらに思う。
だがそれをすれば際限がなくなってしまう。

贈り物をもらうために、彼に恋をしたわけではない。
彼が王族だからでもない。彼自身を好きになったのだ。
そのことを分かってほしかっただけなのに。

「祐榎が気にすることないわ。あなたの気持ちは、私にも分かってるから」

祐榎の気持ちを読んだかのように、彼女は言った。
妹も同然である祐榎の考えなど、珠瑛にはお見通しなのだと。

「それが秀慧には分かっていないだけ。だからあなたは気にすることはないわ」
「はい」
笑顔で祐榎は頷いた。

その時、慌ただしく扉がたたかれた。
返事がかえるのとほぼ同時に扉が開かれる。
そこから顔をのぞかせたのは、若い女性であった。
珠瑛に仕えている者で、祐榎とも顔なじみである。祐榎の姿をそこに見いだし、硬かった表情がわずかに緩む。
部屋の入り口で足を止め、主人である珠瑛に一礼する。

「どうしたの?」

その姿を認め、珠瑛が尋ねる。
彼女がまとっている空気が、緊迫したものであることをすぐに見て取った。
それほどまでに急を要する用件があるのか。

女官は己の主である珠瑛を差し置き、祐榎に向いた。

「祐榎様、使いが参っております。急いでお屋敷にお戻りください。お父上が、笙耀様がお倒れになられたそうです」

祐榎はすぐにはその言葉を理解できなかった。
何度か頭の中で反芻し、その言葉の表す意味が飲みこめるころには、愕然とした。顔から血の気が引いていた。
絞り出すように発した声は震えている。

「お父様が‥‥」

全身が震えていた。
嘘だと叫びたい。そんなことがあっていいはずがないのだ。
だってあんなにも今朝はお元気で‥‥。

急使が、それとも彼女が嘘をついているのではないのかと疑った。
いや、疑いたかった。
でも、そんな嘘をつくはずがないと、辛うじて残っている理性が訴える。

そうだ、それが本当ならばここでぐずぐずしている暇は無い。
一刻も早く父の元へ戻らねば。考えるのは後回しとばかりに、行動に移る。
女官を凝視していた瞳が、珠瑛に向けられる。

今朝まで笙耀は、体調を崩しながらも起き出して、朝食をともに取った。
だから心配しつつも、笙耀自身が笑顔で大丈夫だと言ったから、出仕して来たのだ。
それはここ最近、毎朝繰り返される光景だった。
そして、宮殿を辞して家に戻った祐榎を、笑顔で迎えてくれた笙耀にほっとする。
朝よりは夕刻の方が体調も顔色もいいらしい。
今日もそうだと、家に戻るころにはお父様は笑顔でお帰りと言ってくれるはずだと思っていた。
だが、まさかこんな知らせが飛び込んで来ようとは!
やはり家にいるべきだったかと後悔しても、もう遅い。

「珠瑛様、申し訳ございませんが」

硬い声で退出許可を申し出る。珠瑛は頷いた。
事は一刻を争うかもしれないのだ。大切な妹に、悲しい思いはさせたくない。

「かまわないわ。早くお帰りなさい。後は私に任せなさい」
「ありがとうございます」

言うや否や、彼女はすっくと立ち上がる。
それから女官の案内のもと、文字通り部屋を飛び出していった。

「何でもなければいいのだけど‥‥」

祐榎と入れ違うように戻って来た愛娘の頭をなでながら、珠瑛はつぶやく。
その汐穂は何が起こったのか分からないようでキョトンとしていた。

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