君に出会うために - 聖翔学園物語 -

君に出会うために 8

 迎えが来たという二人とは教室で別れ、鈴鹿が帰り支度を終えて廊下に出ると、あちらこちらで保護者や同級生が笑いながら話している姿があった。

 鈴鹿は目を閉じ、耳を塞ぎ、走り去りたい衝動に駆られた。
 鈴鹿の両親は既に亡い。
 彼らと同じように、両親に報告したり、喜んだり、笑いあったり、喧嘩したり、触れ合ったり。そんなことをしてみたかった。
 それはずっと心の底にある、決して叶えられない願い。ふとしたことで浮上し、自分を苦しめる。
 けれど、もう以前のような、何も知らない子供ではない、理解はしているつもりだ。
 それでも羨ましさと寂しさとを感じることはあるが、そんな感情には気づかないふりをする。
 頭を振って、頭の中を真っ白にする。そうしないと、立ち止まってしまいそうだったから。

 意を決して廊下を歩き始めると、背後で自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
 振り返ると、淡い水色のスーツに身を包んだ細身の女性が足早に近づいてくるのが見えた。
「遅くなってごめんね」
 その女性は鈴鹿の目の前に立ち、申し訳なさそうに言った。
「伯母さん、来てくれたんだ」
 忙しい伯母、高塚澪がわざわざ自分のために来てくれたことが嬉しくて、声が弾む。先ほどまで感じていた寂しさが、すうっと消えていくのを感じた。
「出掛けにいろいろとあって。本当は入学式の前に鈴鹿ちゃんに会いたかったんだけどね」
「ううん、来てくれただけで嬉しい」
 ありがとう、と言うと、ようやく澪は笑顔になった。
「そう言ってくれるのは鈴鹿ちゃんだけよ。零なんて、近くに来るなっていうのよ。失礼しちゃう」
「伯母さん有名人だから」
 苦笑した鈴鹿に、澪は軽く肩を竦めた。
 彼女は旧姓の名を使い、「七瀬みお」として世界で活躍するピアニストである。有名人の母親を持つ零は、そのことをひた隠しにしていた。
 念のため、目だけで周りを見渡したが、彼女の存在に気づいたものはいないようだ。案外気づかれないものよ、と、片目を閉じてみせる。
「朝、大変だったのよ。征也さん、仕事休んで鈴鹿ちゃんの入学式行くってきかなくて」
 頬に手を添えて、ふぅとため息をつく。
 征也は澪の夫であり、『馬鹿』がつくほど鈴鹿を溺愛している、鈴鹿の伯父でもある。
 数日前に会ったときに、入学式に行きたいけれどどうしても外せない仕事がある、と大げさにため息をつきながら愚痴っていたが、まだ諦めていなかったらしい。
 その口調から、二人が言い合う様子を容易に想像でき、鈴鹿は口元を歪めながらも笑いを必死でこらえる。
「ひたすら説得して、今日うちでお祝いしましょうということで、やっと会社に行ってくれたの。鈴鹿ちゃんの制服姿見たいって言うし、だから悪いんだけど、願いを叶えてあげてくれる?うちでお祝いしましょう」
「いいの?」
「いいに決まってるわ。もともと、そうするつもりだったし」
 そう言って、ふわりと微笑んだ。
「夏原のお家にも連絡しておいたから。征也さん、帰るのも遅くなりそうだし、うちに泊まっていく?」
「え?でも」
「いいからいいから。零も早く帰ってくるって言ってたし。ご馳走作るわね」


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 高塚家は、住宅地にある極々普通、二階建ての一軒家である。
 その居間にて、鈴鹿と澪は紅茶を飲みながら、入学式の話をしていた。
 二人の友人ができたと伝えると、澪は自分のことのようにうれしそうに頷いてくれた。
「久しぶりの聖翔だったけれど、何も変わってなかったわ」
 昔を思い出しているのか、遠くを見つめて澪は呟いた。
 澪も征也も、聖翔学園出身であるということは、以前聞いていた。その頃のことを思い出しているのだろう。
「征也伯父さんと会ったのも、聖翔なの?」
「そうよ。だから、鈴鹿ちゃんも頑張ってね」
 ふふと笑いながら、少しだけ頬を染める。
 何を頑張ってなのだろう?と首を傾げる。
 その意味を問う間もなく、遠くで微かに扉が開く音が聞こえた。
 玄関まで話し声が聞こえていたのだろう、その人物は居間に顔を出すと、驚いた様子も無く鈴鹿に声をかけてきた。
「鈴鹿、来てたんだ」
「そうよ。今日はご馳走だからね。間食はしないでよ」
 声を弾ませて答えたのは、鈴鹿ではなく澪である。
 零は了解、と手を振ると、自室がある二階に上がっていった。
 ひととおり今日の出来事を話し終えると、澪は夕食の準備を始めた。
 今日はお祝いだから手伝わなくて良いといわれた鈴鹿は、零の部屋に向かった。


 零の部屋の扉を軽く叩き、中から返事がしたのでそっと開ける。
 部屋の中を覗きこむと、零がベッドに寝そべって、何かを真剣に読んでいる姿が見えた。
 鈴鹿は零に近づき、手にしているそれを覗き込んだ。そこに書いてある文字を少しだけ目で追うと、訝しげに眉を寄せた。
「・・・何、それ」
 雑誌のようなそれはかなり分厚く、持ち上げて読むには不向きである。紙質もあまりいいものではない。
 鈴鹿でも知っている有名な企業から聞いたことの無い社名まで、かなりの数の名前が並んでおり、その業種や業務内容、業績と思われる数字などが、細かい文字でびっしりと記載されている。
 少し眺めただけでもクラクラするそれを、零は熱心に読み込んでいた。
「そんなの読んでておもしろい?」
「おもしろいもおもしろくないもない。小遣い稼ぎだから」
「株でもやってるの?」
「株じゃないけど。似たようなもんか・・・何?どうした?」
「あ、授業のこと、聞きたくて」
 手に持っていた資料を零に見せる。彼は瞳だけをちらりと動かしそれを見ると、ああ、と頷いた。
「選択授業のこと?まあ、最初は戸惑うだろうな」
 聖翔学院高等部は、月水金の午後の2コマずつは『選択授業』と呼ばれ、好きな科目を選択して受講することができる。
 音楽や美術などの芸術科目、各クラブ・部活と合同に行う実技科目、茶道華道などの礼儀作法、大学や中等部と合同に行われる講義や課外活動、不得意科目克服のための復習クラスなど、多岐に渡っている。そしてどの科目を取ろうとも、個人の成績や卒業単位に影響は無い。
 純粋に、自分が興味があるもの、学びたいもののため、それらを探すために割く時間である。そのため、自習時間としてどの科目も受講しない、ということも可能である。
「零はどれ取ってるの?」
 同じく奨学生の零ならば、成績維持のためにどのような科目を受講しているのか聞いてみたい。きっと全て、勉強時間に充てているはず。そう思っていた。
 けれど、彼の口からこぼれたのは、意外な事実であった。
「俺は全部、部活の助っ人」
「助っ人?」
 彼の言う部活とは、運動部のことだろう。
 運動神経の良い彼は、中等部時代にも、あちらこちらの運動部から引く手数多だったと聞いている。
「生徒会やってるから、放課後はそっちに時間取られる。だったらせめて、選択の時に手伝えって先輩方に言われてな。6コマあるから、6つの部の助っ人」
 ようやく雑誌から目を離し、身体をベッドから起こすと、強張った肩や首をまわし、コリをほぐし始めた。
「ま、俺のは参考にならないだろうけど。心配なのは成績?」
「うん、そう」
 奨学金をもらえるのは、成績上位6位まで。
 ならばこの時間は予習復習に使った方が良いのでは?
 そう思っていたのだが。
「気にする必要ないさ。鈴鹿は好きなことをすればいい」
「でも」
「心配なら、俺が勉強教えてやるよ」
 唇だけでニッと笑う従兄の姿に、嫌な予感がする。
「絶対、報酬請求するでしょ」
「おまえが払えるくらいにするから、心配するな」
 物騒な笑みを見せる従兄の姿に、これまで請求された報酬の数々が脳裏をよぎる。
 確かに、どれも『少し』頑張れば払える程度であったが。
 重いため息を吐き、零に教わるのは最終手段にしよう、と、心に誓う鈴鹿であった。

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