時の扉 闇の扉

時の扉 闇の扉 5

二人は食事をすませ、さっそく聖獣の森へと向かった。森の中は静寂に包まれていた。鳥の声ひとつ聞こえず、足元の草むらには暗い影が落ち込んでいる。
獣の声が聞こえないのはいいことであると美緒は思った。しかし、セリアの顔色はさえない。
「まずかったかな・・・」
そのつぶやきは、すぐ隣を歩む美緒の耳にも届いた。
「なにがまずいの?」
「獣魔がいるかもしれない。まだ陽が高いから安心していたけど、こう暗くては・・。それに、鳥の声も聞こえない。獣魔が近くにいるかも・・・」
「獣魔?」
「・・・ああ、美緒は知らないんだ。獣魔っていうのはね、魔族の中でも下級の存在でなの。魔族って、解る?」
美緒は頷く。いつの間にかセリアは、教師気分に浸っていた。目の前まで垂れ下がっていた枝を持ち上げ、その下をくぐる。
「魔族の中でも獣魔は知能の低い奴なの。だから、誰彼構わず見境なく襲ってくる。気をつけてね」
美緒にはいまいちその恐ろしさが実感できないが、それが危険な存在だということだけは解る。竜族とどっちが凶暴なんだろうなどと考えたりする。
「美緒、指輪を両手の薬指にはめて」
突然そんなことを言われ、驚きながらも指輪をはめる。
「でも、セリア、これ返さないと・・・」
「いいって。別に、壊れるわけじゃないから。そして、指を組んで」
「こう?」
「そうそう。そして、指輪を真っすぐに並べて、こう唱えるの」
セリアは詠唱してみせる。

闇を消し去る聖なる月の光よ
指輪の契約によりてその力を示したまえ
我が前に立ちふさがりし敵を消し去れ

「・・・長い・・・」
「文句言わずに、実行する!!」
強い口調で押し切られ、美緒は呪文を詠唱する。それが終わった瞬間、指輪にほのかな光が宿る。美緒は驚いてそれを見つめた。その時、
「それを放って!」
セリアの声に従い、それを前に突き出す。わずかな衝撃を残して、それは目の前の木を目がけて飛翔した。それが木に触れた瞬間、光りはそれを包み込み、音も立てずに引き裂いた。
「す・・ご・・」
美緒は声も出せなかった。その光の球は、彼女自身よりも太い幹をやすやすと引き裂いた。
セリアは満足げに見守る。
「まあ、こんなもんかな。さすがに質の良い聖晶石だと、威力が違うわね」
うんうんと頷きながら、一人で納得している。
「ど、どういうことよ。わたしには魔法なんて・・・」
「その指輪の力よ。それは、魔道の力が込められているわ。それを言霊で解放するの。だれでも使える、簡易の攻撃魔法ね。身を守るのに使えば良いわ」
美緒はじっと指輪を見た。何の変哲もないものだ、と先程まで思っていた。その石は高価な物であるらしいが、指輪自体はどこにでもあるようなものだ。しかし、今の力を見せつけられては、やはり自分がもつのはためらわれる。
「セリア、これ・・・」
「もらっときなさいって。それくれた人も、その事を知らないはずがないって。そういえば、まだ聞いてなかったわね。誰からそれをもらったの?」
「ああ、ラーヴィスって名乗ってた」
 セリアは目を見開いた。
「ラーヴィス?本当に?」
ラーヴィスの名に、どうやら聞き覚えがあるようだ。そう、と頷くと、顔をしかめて考え込む少女は、声をかけることさえためらわれる。しかし、このままではいつまでそれが続くか予想できず、恐る恐る声をかけた。
「セリア?」
「ああ、ごめん。ラーヴィスっていうのは、赤の魔道士よ。すっごい有名人。今は赤の位にいるけど、紫の実力はあるらしいわね。世界でも屈指の魔道士よ」
「赤とか紫ってなに?」
セリアはそれについても嫌な顔ひとつせずに答える。
魔道士とは、その名が示すとおり魔道を使う者である。当然ながら、魔道士の中でもその実力に応じた位がある。最高位である「紫」を筆頭に、「赤」「緑」「青」「黒」の順である。だが当然ながら本当に実力のある魔道士は少なく、「紫」「赤」「緑」の人数を合計しても魔道士全体の一割にも満たない。
「じゃあ、あの人ってすごい人なんだ」
美緒が感嘆の声を上げる。本音を言えば、少しもそうは見えなかった。魔道士といえば、どちらかといえば地味で暗い印象を受ける。しかし彼も、そしてセリアも闊達で、美緒のイメージを見事に打ち砕いてくれた。
「じゃあ、セリアは紫の魔道士を見たことがある?」
美緒はそう言いながら、同じように木の枝の下をくぐる。
「あるわよ。ほんの少しの間だったけど、風の魔道士に魔道を習ったこともあるわ」
「風?」
紫の魔道士は五人。風、炎、水、地、そして月の位をもつ。その五つを総称して紫と呼ぶ。これは、紫の位だけで他の位には無い。一種の尊称である。どの時代でも、その人数は変わっていない。位を譲ったり、また、魔道勝負によって紫の位を奪って代替わりをするのだ。ちなみに、その紫の中でも最も強い者には月の称号が与えられる。
「へ~、すごいんだ」
美緒が感心したその時、不意にセリアの体が強ばった。
どうしたの、と聞こうとして、美緒も目を見はる。そこにいたのは、この世界の事を全く知らない美緒にもわかった。それは獣魔、だった。
鹿の角を持った狼という印象を受ける。そのきばは鋭く、耳まで届く口からは液体がこぼれ落ちている。それが足元の草を打つたびに、焼け焦げる音が聞こえた。おそらく、それは強力な酸なのだろう。
セリアはこちらを振り向かず、小さな声でつぶやく。
「ミオ、今来た道を戻りなさい。奥に行かなければ、獣魔は出ない」
「で、でも、セリアは・・・」
「わたしは大丈夫よ。あなたがいれば、かえって足手まといになる。ここまで連れて来てしまってごめんね、さあ、行きなさい!」
強い口調と同時に、美緒は見えない何かに押され、弾かれたように駆け出す。途中一度だけセリアを振り返ると、彼女はまだその獣魔と対峙していた。だが、そこに戻りたいとは思わなかった。ただ、早くあの場所から立ち去りたかった。恐怖から逃げ出したかったのだ。彼女の好意に甘え、セリアを見捨てたのだ。
「セリア・・・」
走りながら、涙で視界が滲む。彼女は助からないかもしれない。だが、自分が残ったとして、何ができる?
けもの道、道なき道を走る。彼女の言うとおり、獣魔らしき陰は見当たらない。木や草が彼女の行く手を阻み、態勢を崩しながらも走る。
やがて、足元の草むらの向こうに小さな町が見えてくる。ほっとして、走る足も早まる。町に行けば、助けが呼べるかもしれない。彼女を助けてくれるかもしれない。一刻も早く、そう思い、近道をしようとガケを駆け降りようとして、草むらを抜ける。そこから、ガケを一気に降りて町に着く、はずだった。
「えっ」
だがそこには、美緒が思っていたガケはなかった。それは、底も見えない絶壁だった。草むらで隠れていて、美緒が気づかなかったのだ。
「きゃあ!!」
だが、勢い余ったその身体を押さえることはできなかった。そのまま、重力に引かれ、ただ浮遊感のみが彼女を襲った。

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